国際部 渡邉 智子

本業の都合でアメリカの地方都市に二年程住んでいたことがある。滞在中は趣味のフルートを続けるために地域のアマチュア吹奏楽団に所属していたのだが、これがなかなかユニークな体験だった。仕事をしているだけでは見えない「アメリカ」を見ることが出来たのではないかと思い、ご紹介させていただきたい。話の種にでもなれば幸いである。

image001駐在していた地方都市のダウンタウン(筆者撮影)

まずは言葉の問題から

日常生活をなんとか送れる程度には英語ができたので、吹奏楽団に参加するにあたって言葉の問題はあまり気にしていなかった。そもそも音楽は世界共通語。「世界中、どこにいっても楽譜は同じでしょ?」なんて軽く考えていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。

楽譜に書かれているドイツ語やイタリア語の楽語はもちろん世界共通だ。ところが、よく考えれば当たり前なのだが、日本語の音楽用語が存在するように英語にも音楽用語というものが存在し、しかも普通に英語を勉強していたのでは、まずそれらにお目にかかることはない。
吹奏楽団の練習に初めて参加した私を大混乱に陥れた単語が、「小節」を意味するmeasureやbarだ。「練習番号Bの3小節前からお願いします」なんていう練習の進め方は日本と同じなのだけれど、この2つの単語を知らなかったばっかりに大パニックになった。周りの様子からきっとどちらも小節のことだろうとおよその見当はつけたけれど、確信がないまま音を出す恐ろしさときたら。

次の問題はドレミファソラシドの音名。日本の場合、クラシック音楽界隈ではドイツ語読みの音名(アー、べー、ツェー、デー)を使うのが一般的である。ところがアメリカでは英語の「エイ、ビー、シー、ディー」なのだ。小節問題と違ってこちらは言葉の意味自体はわかるのだが、「ドイツ語のE(エー)と英語のA(エイ)が紛らわしい問題」が発生する。「Aを吹いて」と言われて皆がラ(A)の音を吹いているのに、一人だけミ(E)の音をぷぅと鳴らすのはなかなかに心削られる経験だった。

初日の練習で予想外の言葉の問題に大量の冷や汗と脂汗をかき、その夜、早速キーワード「英語 音楽用語」で検索をかけたのは言うまでもない。

スーザにしびれる日

私が参加したのはごくごく平凡な地域の吹奏楽団で、演奏も特に何ということのないレベルだったのだが、スイング・ジャズなんて吹かせればなぜか妙に格好良くて、DNAの力を感じた。そんな中で一番驚かされたのが「スーザ」だ。

吹奏楽のご経験がない方のために解説すると、ジョン・フィリップ・スーザ(1854-1932)は数多くの行進曲を作り「マーチ王」の異名を持つアメリカ人作曲家だ。吹奏楽をやる人ならほぼ全員が一度は演奏している。それどころか、学生時代など、運動会の季節には毎年必ずやるので、はっきり言ってみんな飽きるほど演奏している。スーザの曲は行進曲の中ではなかなか素敵な名曲が多いのだけれど、あくまでも行進するための曲なので、音楽的に感動するとか、そういうポジショニングの楽曲ではないと思っていただければ概ね外れない。

日本で何回吹いたかわからないスーザの行進曲をその吹奏楽団で演奏したとき、本当に度肝を抜かれる思いがした。これまでに吹いてきた曲と同じだとは思えないほどに、ビックリするほど魅力的だったからだ。それがリズムのせいなのかハーモニーのせいなのか、私の知識や技量ではとても特定できなかったけれど、とにかく確実に何かが違っていて、活き活きと美しい別物みたいな「スーザ」がそこにあった。これが本場のスーザなんだ、としびれた。
根っからの日本人として、自分が演奏するスイング・ジャズやウィンナー・ワルツが「なんちゃって」であることははっきりと自覚していたけれど、「シンプルの極み」のような行進曲も実はちゃんと演奏できていなかったというのは、目から鱗がおちるような発見だった。音楽にはその国の人にしか出せないニュアンスがあるということを痛感した。

『星条旗よ永遠なれ』で英雄になれ

マーチ王スーザの代表作が、『星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever)』である。この曲はアメリカ人にとって愛国心を象徴する特別な音楽だ。「アメリカ合衆国公式行進曲」に制定されており、アメリカの第二の国家とも言われる。私が所属した吹奏楽団が演奏会を開くときには、必ずアンコールには『星条旗よ永遠なれ』を演奏した。
この曲の中間部では、明るいのにどこか哀愁を帯びた魅力的なメロディーが奏でられ、後半にはそこに重ねるピッコロの華やかで技巧的な対旋律(オブリガート)が彩りを添える。ピッコロといっても『ドラゴンボール』の登場人物ではなく、フルートの親戚にあたる管楽器だ。フルートがそのまま小さくなった形をしているので、通常フルート奏者が持ち換えて演奏する。このピッコロが最高音域でキラキラと奏でる『星条旗よ永遠なれ』のオブリガートは有名で、日本でもこのオブリガートが成功すると曲中でも拍手をするのが習わしだ。

私も日本にいる頃から「星条旗よ永遠なれ」のピッコロは何度も吹いて、拍手をいただいてきたのだが、アメリカで演奏したときにいただいた拍手は全くの別物だった。オブリガートを吹きはじめると、「よっ、待ってました!」とばかりにお客さんのテンションがグッと上がるのだ。そして無事に吹き終えると、それこそ「うぉぉぉぉ!」という感じの熱狂的な拍手がわき起こる。演奏会が終わると、お客さんが「ピッコロのオブリガート、よかったわよ!」とわざわざ声を掛けに来てくれる。そんなこと、日本では一度も経験したことがない。

普通なら何か英雄的な行為をしなければいただけないような熱い拍手を、アメリカではピッコロを吹くだけでいただける。それほどまでに、アメリカ人にとってはこの曲が本当に特別で、とても大切にしているのだ。

image002フルート(左)の半分の長さのピッコロ(右)。ピッコロはイタリア語で「小さい」という意味。(筆者撮影)

決して交じり合ってはいない「人種のるつぼ」

さて、私が住んでいた町は、地方都市とはいえ町を歩けば多種多様な人種に出会える、「人種のるつぼ」たるアメリカらしい町だった。職場にもいろんな肌の色を持つ人々がいた。ところが不思議なことに、私が所属していた吹奏楽団はほぼ全員が白人だった。吹奏楽団の慰問演奏で訪れるリタイアメント・コミュニティの住人たちも圧倒的に白人が多かった。なぜだろうとずっと疑問に思っていたのだけれど、なんとなく聞いてはいけないような気がして、吹奏楽団の仲間には聞けずにいた。

ある日、仕事でご一緒していたアメリカ人弁護士と世間話をしていたときに、ふと思い出して尋ねてみた。「もしかしたら地理的な問題じゃないかな」というのが彼女の答えだった。吹奏楽をやるためには楽器を揃えなければいけないからお金がかかる。いきおい、課外活動として吹奏楽を提供できるような学校は、裕福な地域にある学校に限られることになる。そういう地域では白人の居住者の割合が高くて、そのせいで吹奏楽経験者にも白人が多くなるのではないかしら、と。

なるほど、そうかもしれないと思った。アメリカにおける地理的格差は、住んでみて驚いたことの一つだ。私が住んでいた町は、高額な学費で知られる私立大学を擁する学園都市で、アメリカの中では比較的治安もよく落ち着いた町だった。ところが、そのすぐお隣には毎日のように傷害事件が起こり、「危ないから絶対に行ってはいけない」と言われるような町があったりする。通りを一つ隔てるだけで、街の雰囲気も歩いている人の表情も変わってしまう、そういう極端な地理的格差が至るところにあった。隣り合う町に生まれても、それぞれ全然違う経験を重ねて育ち、その後の人生においても決して交じり合わないまま一生を過ごしてしまう、そういう世界なのかもしれない。そんなことを考えさせられた。

おわりに

アメリカで吹奏楽団に入るという個人的な体験を通じて見た、様々な「アメリカ」についてお話させていただいた。音楽が世界共通語だからこそ、余計に文化の違いが際立ったのかもしれない。なにはともあれ、育った国も文化も違う人たちと一緒になって一つの美しいものを作りあげて共有する喜びは、やはり音楽ならではの魅力だ。皆さんも機会があれば是非飛び込んでいただきたい。ただし、事前に音楽用語のチェックだけはお忘れなく。

■渡邉 智子(わたなべ ともこ)

大阪大学大学院理学研究科生理学専攻前期課程修了後,製薬企業に勤務。創薬研究,製品戦略を経て、現在は経営企画を担当。2023年中小企業診断士登録。笛と猫を愛する企業内中小企業診断士として活動中。

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